2015年11月9日月曜日

欲しいもの


今回は、物欲について書きたいと思います。
(余談ですが、「欲しい」と書くのと、「ほしい」と書くのでは、
「欲しい」の方がより脂ぎった感じがして、切実に手に入れてやろうと行動していて、
「ほしい」の方は少しやわらかな、ふわっと求めている、あったらいいな、
くらいの感じがします。
今回はより具体的に求めているので「欲しい」もの、にしました。)


黒い鞄


仕事で使えるような、少しフォーマルな感じの黒の鞄があればよいなあ、と思っていて、
ほとんどの移動手段が電車で、移動中は本を読むことが多い私にとって、
肩掛けできること=両手が自由になること、が必須条件となります。
また、定期や本をすぐに取り出すことができるように外側に大きめのポケットがあるとよいです。
通常よりも大きめであれば単行本なども入れられますし。
あと、これは二層構造になっていて、自動的に荷物を分類できることも大きいです。

現在は、以下のもの


を使っています。
肩掛け、外側のポケット、二層構造はまさに自分の希望通りなのですが、
色や素材が少しカジュアルかなあ、と思うことがあるので、
ふたつ目があれば用途によって使い分けることができると思っています。



黒い長財布


財布も、現在のもの


を気に入っていますし、5年ほど使っていて色味も変わってきて愛着も随分とあるのですが、
二つ折りなので、入れているお札に形が付いてしまうのが気になっています。
お札が丸まってしまうと、なんとなくお金を粗末にしているような気がしてしまうのです。

ブラウン系を長く使ってきたので、次はすっきりとした黒がよいかなあ、などと思います。
よりシンプルなデザインも洗練されていてよいのですし、
ノーム・コアなんて言葉が少し前に流行ったりしましたが、
あまりに装飾がないものよりも、一味違ったものが好きだったりするので、
編み込みのタイプが気になっています。
ジップタイプで開いてしまわないことと、中身が複数の層構造になっているのも好みです。
自然と整理できますし、内容量も増えます。


学生のころから、欲しいなあ、と思うものはありましたが、
働くようになって自由になる時間が少なくなってきてからは、
毎日使えるもの、日々用いるもの以外を欲することが少なくなりました。
気に入ったもので、価値があると思ったものをほんの少数所有するかたちです。
ひとり暮らしをするようになってから荷物を減らしたこともその傾向を強めることになりました。
たとえば、
眼鏡は既に複数持っているのですが、今年新しく加わったものに、以下のようなものがあります。


ブロウ型は既に少し濃い飴色がひとつあるのですが、
そして、他の形状の眼鏡もグレイ系はふたつあるけれど、
考えてみれば、黒はないな……、という理由で購入に至りました。
Yellows Plus は気に入ったデザインが多く、愛用しています。
(余談ですが、昔好きだった人が、
自分に似合うものはすぐにわかるから、買い物で悩んだりはしない、
と言っていて、当時の私は、そんなことがあるのか、と感心したのでよく覚えています。
今でもまだ私は自分に似合うかどうか瞬時に判断できたりはしないのです。
考えてみると、似合うかどうか、の判断基準も人によって異なりますから、
自分が似合うと思えばそれでよいわけで、
そのような点から考えると、あの子は自分の中の判断基準が確固たるものだったのでしょうね。)


自分の身の回りの環境を自分の好みのもので固めること、
それは自分を守ること、恒常性、ホメオスタシスのようなものなのかもしれません。
身の回りのものに対しての物欲が強まることは、
家という環境の、自分にとっての基地として役割を強めようとすること、
つまり、外部環境での負荷が大きいことを意味するのではないか、と分析しています。
自分という存在が固定化したものではない、identity は常に揺らいでいる、
という主張を、平野啓一郎さんが、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、という本で行っていますが、
この本の説に従うと、
家を自分にとって理想的な分人を生きるための環境にすることに心を砕いている、
という構図が見て取れます。
ゆとり世代が打たれ弱い、ということも言われたりますが
(「ゆとり世代」という単語で一括りにするのは随分乱暴なことで、
学校での授業数が減ったところばかりではないでしょうし、
学校外の学習時間が増えた可能性も考慮すべきでしょう)、
自分にとって心地よい空間を必死につくろうとしている自分を見ると、頷けてしまう部分があります。

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